死刑廃止論者 【解決方法Q&A/疑問攻略/ブログ】
Q&A:死刑廃止論者について? 解決方法/評価
・死刑廃止論者にお伺い致します.之までこの問題について喧々囂々の議論があちこちでなされ今更何だと思われる方もいらっしゃって当然です.近々オウム事件を検証する資料を公開するそうです。前置きがながくなりましたが.死刑廃止論者はオウムの残忍非道な罪を許しますか.彼等の死刑執行に全力を挙げて反対しますか。もし何らかの事情が発生して死刑回避された場合どのような刑罰を望みますか。被害者の方々に加害者の罪を許して挙げてくださいと土下座して命乞い出来ますか.法で定められたことに反対するなら逸れくらいのことはたやすく有りませんか。・弁護士の方や元弁護士、又は実情に詳しい方に質問です。弁護士の職務について基本的な事は理解しているつもりです。しかし、実際どうなの?と思う事が多々あるので質問させていただきます。・誰がどう見ても死刑しかありえないような被告人(無差別・大量殺人など)を担当する事になった場合、「責任能力なし」 で無罪を勝ち取ろうと最初から作戦をたてるのでしょうか?・そもそも、そのような(分が悪い)被告人の弁護依頼は断る権利があるのでしょうか?・逆にそのような被告人の弁護を引き受けた弁護士は、無名で仕事を選べないので仕方なやる、又は死刑廃止論者なので 何とか死刑判決を出させない、という個人のイデオロギーのためにやっているのでしょうか?(光市母子殺害事件など) そんな事をしていたら評判が悪くなり、今後仕事に影響する思うのですが、もう意地でやっているのでしょうか?・人権モンスターの死刑廃止論者は一体どれくらいの被害者凶悪事件があれば、死刑にするべきと言うのでしょうか?・死刑制度廃止となった場合、その後の日本はどうなる?死刑廃止論者の皆さまに伺います。仮に、日本で死刑制度が廃止となった場合、その後の日本・・・世の中はどのように変わると想定されておりますでしょうか?・死刑廃止論者って死刑の代わりに何を適用するのでしょうか?そして死刑制度を取っていない国の極刑はなんなんでしょうか?仮釈放の無い無期懲役?仮釈放の無い有期刑30~40年とか?一生出られない刑務所の中で暮らす囚人に未来はあるのか?二十歳で刑を受け30年後に出所して50才、果たして生きて行けるのか?これが人道的?税金で保護するの?死刑を廃止する代わりに「自殺」と言う制度を取り入れてはどうだろうか?・死刑は必要だと思いますか??☟森達也さんがいってましたちなみに私は必要だと思います・勝間和代がホスト役を務める対談番組「デキビジ」に出演した。テーマは死刑制度。勝間は自分が死刑廃止論者であることを、とても率直な言い回しで僕に語った。 なぜこの国は死刑を廃止できないのでしょうと何度も訊ねてきたけれど、答えることはできなかった。だって僕もその答えを、誰かに訊きたいといつも思っているのだから。 この番組はオンエア前に、ニコニコ動画でもライブで配信された。 その後のネットやツイッターには、勝間と森に対して、激しい批判が次々に書きこまれた。 いや批判ではない。ほとんど罵倒だ。 「この人らに聞きたい。被害者遺族のことは考えているのか?と」 「身内殺されてもこんなこと言ってられるのかね こういう人達は」 ほとんどがこのトーンだ。つまりはこれが、日本の死刑制度存置を支持する9割近い人たちの本音ということになるのだろうか。 ならばまずは、「死刑制度がある理由は被害者遺族のため」と言い切る人たちに訊きたい。 もしも遺族がまったくいない天涯孤独な人が殺されたとき、その犯人が受ける罰は、軽くなってよいのだろうか。 死刑制度は被害者遺族のためにあるとするならば、そういうことになる。だって重罰を望む遺族がいないのだから。ならば親戚や知人が多くいる政治家の命は、友人も親戚もいないホームレスより尊いということになる。 つまり命の価値が、被害者の立場や状況によって変わる。ならばその瞬間に、近代司法の大原則である罪刑法定主義が崩壊する。 でも不特定多数の殺傷を狙ったオウム真理教による地下鉄サリン事件以降、自分や自分の家族も被害者になったかもしれないとの危機意識が刺激されたことで被害者遺族への注目や関心が急激に高まり、共有化された被害者感情は罪と罰のバランスを変容させながら厳罰化を加速させ、民意から強いバイアスをかけられた司法は、原理原則よりも世相を気にし始めた。 なぜなら世相が望む刑罰より軽い判決を下したら、今度は自分がバッシングされるのだ。 裁判所内の出世にも響くかもしれない。こうして厳罰化はさらに加速する。つまりポピュリズムだ。 次に「被害者遺族の身になれw」と書いた人に訊きたい。ならばあなたは、本当に被害者遺族の思いを想像できているのかと。 自分の愛する人が消えた世界について、確かに想像はできる。でもその想像が、被害者遺族の今の思いを本当にリアルに再現している・「死刑廃止論者」の理論というか、思考が全く理解できません。私は自分の大切な人が殺されたら絶対に「死刑」を求めると思いますし、司法がそれを執行しないならば、個人的に復讐するつもりです。私の考えはおかしいでしょうか?・多数の国民が支持できるような死刑廃止論って出ましたか?この知恵袋で、死刑廃止論について色々と出ているようですが、国民の多くが死刑を肯定する現状を覆せるような意見は出ておりますでしょうか?少数派の死刑廃止論者は、国民の多くが抱く死刑肯定論を、死刑廃止へと転換できるでしょうか?どうっすか?・地下鉄サリン事件から、もう17年も経つんですね。ある雑誌で北野武が「極刑」について、こう語っています。どう思われますか?【世間はみんな「死刑容認」か「反対」かって話になっちゃうけど、それはちょっと視点がずれてると思うんだよね。そもそも現代のニッポンの価値観では、「死刑=極刑」っていうこと自体が成り立たなくなっちまってるんだからね。ニッポンには年間3万人以上の自殺者がいるわけだから、潜在的に「死にたい」と思っている人間は、それ以上に多いことになるだろう。死刑を極刑にしてると、そういう「死にたい人」が死刑になりたい、死刑になってもいいってことで、とんでもない凶悪犯罪を犯しちまうこともあるんだよ。宅間守なんてまさにそのケースだったよな。大阪の小学校で子供を無差別に殺しまくっておいて、捕まったら「死にたい。自分を殺せ」って開き直ってさ。実際、すぐ死刑にされちまったわけだけど、じゃあそれは宅間にとって死ってものが「刑」だったり「罰」として機能したかというと怪しいもんでね。もはや死刑には犯罪の抑止力としての効果がないんじゃねェのかって思うんだよな。そういう意味じゃ、オイラは「死刑廃止論者」になるけど、「死刑が酷いことだから止めろ」っていう一般的な廃止論者とはゼンゼン考えが違うんだよ。オイラの意見は「死刑なん軽すぎる」ってことだよ。死ぬとこよりも「必死に生き続けることのほうがいかに大変か」をわからせたいってことなんだよ。極刑は死刑じゃなくて極寒の地での「強制労働」に代えたほうがいいんじゃないか。自分の食い扶持は自分で稼げってことで、与えられたスペースの中で畑を耕し続けなきゃ死んじゃうって環境を作ってさ。最初の1年間だけは食事を与えてやるけど、2年目からは自分の畑の収穫だけで生きていけよって制度にするんだよ。その強制労働が辛けりゃ辛いほど、きっと犯罪率も低下するはずだぜ。死刑囚を何十年も生かしていくためには、オイラたちの税金が使われてるってのもバカげた話なんで、ぜひマジメに「強制労働刑」を検討するべきだよ。死刑をめぐる話がおかしくなってるのは、「死」と檻の中でただボーっとしてるだけの生ぬるい「生」が比較されるからなんだよ。凶悪犯罪を犯したヤツラには、自分から「もう死にたい」と弱音を吐くくらい、生きる苦しみをバリバリ味わわせてやらなきゃダメなんだっての!】オウムの麻原にも、この極寒での「強制労働刑」が妥当だと思いませんか?・死刑反対論者の方々が根拠として「死刑をもうけても犯罪は減らない」と数字を挙げておっしゃいます。しかし、一方で、遺族は怒りがおさまらない。個人の復讐の念をおさえて国家に委ねている限り、死刑にして欲しいと言う感情はありますよね? 死刑廃止論者の方々は一般にこれにどう答えておられるのですか?殺人などの犯罪は亡くなられた方が被害者であると同時に、遺族もまた被害者です。遺族の怒りを軽減させることは、被害の拡大を最小限に抑える道でもあります。リンゼイさん事件でもご家族は市橋に死刑を望んでいました。このような、遺族の感情の処理を死刑廃止論者の方々はどう解決せよと主張しておられるのでしょう。教えてください。
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